カンボジアの歴史

HISTORY OF CAMBODIA

― 栄光、苦難、そして未来へ ―

カンボジアは、世界遺産アンコールワットに代表される古代文明の栄光から、植民地支配、内戦、そして復興へと、多くの激動の歴史を乗り越えてきた国です。
このページでは、カンボジアの歴史を大きく5つの時代に分けて、わかりやすくご紹介します。


 1. アンコール王朝の栄光(9〜15世紀)

クメール文明が築いた巨大な王国と宗教建築

カンボジアの歴史の中で最も有名なのが、アンコール王朝の時代です。9世紀から15世紀にかけて、現在のシェムリアップ周辺を中心に、東南アジア有数の大国を築きました。
この時代には、ヒンドゥー教と仏教の文化が融合し、壮麗な石造建築が次々と建てられました。その代表が、12世紀に建立された「アンコールワット」です。
クメール文明は高度な都市計画や灌漑技術も発展させ、多くの遺跡が今も世界中の人々を魅了しています。


2. 植民地支配と独立への道(19〜20世紀)

フランス統治下のカンボジアと独立運動

1863年、カンボジアはフランスの保護領となり、その後90年間にわたって植民地支配を受けました。
当時の支配体制では、フランスによる教育・行政制度が導入されましたが、クメール文化や仏教の伝統は軽視され、国民の反発を招きました。
その中で立ち上がったのが、国王ノロドム・シアヌークです。彼の外交手腕と国民の支持により、1953年にカンボジアは平和的に独立を果たしました。


3. ポル・ポト政権と悲劇の時代(1975〜1979年)

近代史最大級の人道的悲劇と教育の崩壊

1975年、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(共産主義組織)が政権を掌握。都市を強制的に無人化し、すべての国民を農村での集団労働に従事させる体制を敷きました。
この4年間で、約200万人以上が飢餓・病気・処刑により命を落としたといわれています。知識人や教師、医者なども「資本主義の象徴」として次々と粛清され、国の教育・文化・経済は壊滅状態に。
今もプノンペンには、当時の悲劇を伝える「トゥールスレン虐殺博物館」や「キリングフィールド」が残されています。


4. 復興と平和への歩み(1980年代〜現在)

国連の介入と、再生へ向かう若い国民たち

1979年、ベトナム軍の介入によりポル・ポト政権が崩壊。1991年には国連(UNTAC)主導の和平プロセスが開始され、1993年に新憲法が制定されて立憲君主制が復活しました。
その後、政情は徐々に安定し、観光業、縫製業、建設業などを中心に経済が成長。若い世代を中心に起業家精神も芽生え、英語やIT教育なども広がりつつあります。

 

現地で歴史を“感じる”スポット紹介

アンコールワット(シェムリアップ)

世界遺産にも登録されているカンボジア最大の遺跡。12世紀に建てられたクメール王朝の栄華を象徴するヒンドゥー教寺院で、今も多くの信仰を集めています。

トゥールスレン虐殺博物館(プノンペン)

ポル・ポト政権下の大虐殺の歴史を伝える元刑務所S21。写真や記録、実際の牢獄などが保存され、過去を直視する貴重な学びの場となっています。

アンコールトム(シェムリアップ)

アンコール・ワットの北に位置する巨大な古都アンコール・トム。中央にあるバイヨン寺院には無数の観音菩薩の顔が彫られ、神秘的な雰囲気を醸します。

キリングフィールド(プノンペン郊外)

大量虐殺の現場跡地。慰霊塔やガイドツアーを通じて、1970年代の悲劇を追体験し、平和の大切さを再認識できます。

歴史を知ることで、今のカンボジアがもっと見えてくる

カンボジアは、かつてはアジアの大帝国として栄え、近代には深い苦しみを経験し、そして今、復興と成長の道を力強く歩んでいる国です。
現地で学ぶなら、ぜひその歴史にも目を向けてみてください。
過去を知ることで、今ここで生きている人々の想いや国の姿が、より深く、鮮明に見えてくるはずです。

PDFファイル資料 カンボスタディーの案内資料をPDF でダウンロードする。

カンボジア留学について相談する?

留学はしたいと思ってるけど、何からしたらいいかわからない。費用感も知りたい。あなたの悩みをぜひお聞かせください。

メールでお問合せする